ヨーガ・スートラ4-33

【4-33】 相続は各刹那と不可分に結びついているので、転変の終極において初めて把握することができる。

The experience of a sequencing process of moments and changes comes to an end, thus making change (krama) a real experience.||33||

 

<解説>相続(krama=クラマ)があらためて説明されている。本経3-52では「刹那から刹那への相続」と記されているように、時間の微分子ともいうべき刹那と刹那が断絶なく続いているのを相続というのである。この相続は、転変ということが成立するための前提条件として、我々にも考え得られることではあるけれども、これを本当に認識し、把握することはできない。相続という事実を本当に捉えることができるのは、転変が永久い終わりを告げる刹那である、というのである。これに似たような考え方が、大乗起信論の中に見出される。迷える衆生は無始以来、念々相続して、未だかつて念を離れたことはない。この状態にある間は、心体の相(現われ)が生住異滅の四つの段階を経ながら転変してゆく姿を如実にとらえることはできない。この心の相を知ることができるのはボサツのあらゆる段階を卒業して、一念(一刹那の理念)に覚りを開き、無念(想念がなくなった状態)を得た時である、と説かれている(4-10註参照)。