ヨーガ・スートラ4-24

【4-24】 心は過去に蓄積された無数の残存印象を保有してすこぶる複雑多様であるが、実は自己以外のもののために存在するのである。何故かといえば、心は複合体であるからである。

This human mutability (chitta) has countless wishes of every description (vasana). But it has another purpose-namely to establish a connection between the outside world and the true self. ||24||

 

<解説>自己以外のものとは、真我のことであることはいうまでもない。心の転変は、自己目的的ではなく、真我の経験と解脱のためであるとは、サーンキャ・ヨーガ哲学の根本思想である(2-21参照)。

「心は複合体であるから」という理由づけはサーンキャの哲学で用いる論証法を借用したのである。この哲学では、真我の実在を論証するために次のような論法を用いる。すべて複合体は自己目的的な存在ではなく、他のものの目的に奉仕するためである。例えば、いろいろな材料から合成された家屋は、人が住むためのものであって、家屋自体のためではないように、五つの物質元素を始めとする多くの要素から成る個的存在は、自己のために存在する筈はなく、必ずや自己以外のものの目的に奉仕するためにあるのだ。他のものとは、単純で動きのない真我に外ならない。このように論証するのである(金七十論第十七偈)唯識の第八識はこの点から見て、真我たる資格をもたないわけである。