ヨーガ・スートラ4-3

【4-3】 善悪の業は転変の副因であって、自性の使役者ではない。それはただ自性の流出の妨げとなるものを破壊するにすぎない。だから、業の働きは、農夫の労働に似ている。

However, outer causes are not sufficient to bring about inner change, which can be likened to a farmer removing a sluice gate so as to allow water to irrigate his rice field so that rice can grow there.||3||

 

<解説>前の経文によれば、転変の主動的役割をするのは自性であるから、善悪の業因の役割は消極的でしかない。そのことをここでは副因(nimitta=ニミツタ)とよんでいる。副因は使役者(prayojaka)すなわち自性を自己の意のままに駆使するものではなくて、ただ自性が自ら流出して、新たな誕生に始まるひとりの人間の境涯を充実し、形成するのを妨げるところのものを破壊して、自性の流出を自由にする役目をなすだけだというのである。それは、たとえば、農夫の仕事は、田へ水を引くために、溝を作ったり、稲の根が肥料を吸収するのを助けるために、草を抜きすてたりすることにあるようなものだという。一例をあげれば、善い業が悪い業を破壊し去った時に、自性は神々などの境涯に転変し始めるのである。