ヨーガ・スートラ3-43

【3-43】 定中にあって、心のはたらきが、想像上でなく、実際に身体の外でなされている時には、そのはたらきは大脱身とよばれる。これがなされる時には、心の光照をおおういろいろな障害がなくなる。

Meditating on unimaginable external thought waves gives rise to maximum disembodiment. This in turn lifts the veil on the true self. ||43||

 

<解説>①ここで心のはたらきというのは、特に意(ナマス)のはたらきのことである。綜制中に使用するのはもっぱら、意とよばれるはたらきであるからである。想像上でなく(akalpita)ということわり書きがついているのは、身体を自我と考える立場を捨てないで、自己の意だけを体外に遊ばせようとする想像上だけでの脱身ではないことを示すためである。大脱身(maha-videha)とよばれる遊離魂現象は、意が身体の内にあるという観念を打ちすてて、意を実際に身体から解放した場合に起こるのだというのである。心の光をおおう障害(prakasa-avarana)というのは、煩悩や業など、すべてラジャスやタマスのグナから成るものをいう(2-52参照)。

 

<解説>②ある註釈家は、大脱身という意のはたらきに対して綜制をなす時に心の光の覆障がとれる、という意味に解している。しかし、大脱身現象そのものが深い三昧中に起こる現象であるはずであるから、この解釈は適当ではない。思うに、大脱身は、深いトランス状態のことであって、外から見れば気絶状態とも見える程の、深い瞑想のことであろう。