ヨーガ・スートラ3-37

【3-37】 これまで述べてきたような、綜制の緒結果は、三昧にとっての障害である。雑念にとっては、霊能であるが。

These powers are of secondary importance to those who have attained knowledge (samadhi), but are nonetheless feats for materially oriented individuals. ||37||

 

<解説>この経文はヨーガの立場を誤解から救う重要な典拠である。世間にはヨーガを呪術獲得の手法と考えたり、ヨーギーとは呪法師のことだと思ったりするひとが多いが、それはとんでもない誤解である。ヨーガの修習の結果、霊能が開発されるが、それはヨーガの最終の目的ではない。行者がそれらの霊能に有頂天になると、せっかくの三昧は挫折してしまうのである。ただし、それらの超自然的な力は世俗人の雑念の世界では、立派な霊能と見なされている。障害(upasarga=ウパサルガ)の原語にはまた、災難という意味があるし、悪霊に憑かれることをも意味している。禅宗などで魔境と言っているのにあたる。霊能(siddhi=シッディ)の原語は真言宗などで悉地と音訳し、その意味は修行の成就(成功)ということだと説明している。ヨーガの場合でも、この語は、修行の成功の現われという意味ももっている。だから本経文を、「綜制が成功した結果として生じた諸能力は、三昧境にあるものにとっては災難なのであるが、雑念の心境にあるものにとってはすばらしい霊能なのである」と訳してもよい。