ヨーガ・スートラ3-3

〔三昧 ヨーガ第八部門〕

[3-3] その同じ静慮が、外見上、その思考する客体ばかりになり、自体をなくしてしまったかのようになった時が、三昧とよばれる境地である(1-43参照)。

Insight (samadhi) occurs when only the subject matter of the orientation shines forth without any being affected by the person in question. ||3||

 

<解説>①三昧の心理学的説明としてまことに明快な文章である。三昧の心理は、今日の語でいえば直観である。直観の特色は、主客未分にあるといわれる。心理学的に言えば、主観の存在が忘れられて、客体だけが意識の野を占領する状態であるということになろう。同じことは経験的な直観についてもいえるのであるが、三昧は経験的直観とは違って、五官のはたらきを介せずに、純粋に思惟だけで得られた直観なのである。従って、三昧のなかみはもはや想念ではなくて、客観的対象物件そのものといってよいほど、極めて具体的なイメージである。たとえ、抽象的な観念を対象として始まった静慮であっても、その結果として到達した三昧は、きわめて具体的な内容をもっている。1-49に「この智は事象の特殊性を対象とするから、伝承や推理の智とは対象の点で違っている」と説明しているのはこのことである。仏教用語で証(saksatkara)というのもこの心境を言ったものである。