ヨーガ・スートラ2-41

【2-41】 清浄の戒行を守るならば、さらに、サットヴァの明浄、愉悦感、一つのことに対する心の専念性、感覚器官の克服、自己直観の能力などがあらわれる。

Also the capacity for clarity, cleanliness, cheerfulness and intentness, as well as mastery over the senses, ultimately give rise to self realization. ||41||

 

<解説>①勧戒の第一である清浄感を守る時にあらわれる結果は、単に肉体嫌悪というような消極的なものばかりではない。サットヴァの明浄(sattva-suddhi)というのは、例のサットヴァのはたらきが他の二つのグナのはたらきに打ち勝って、その本性である照明、幸福などの性向を心の表面にあらわすことである。これはサーンキャ・ヨーガの哲学の立場からの解釈であるが、同じ語は早くウパニシャッド(Chand-Up.VⅡ26.2)の中に現われている。そこでは、この語は単に人間の本質といったほどの意味に使われている。

 

<解説>②ギーター(Gita XⅥ,1;sattva-samsuddhi)にもこれに似た表現があるが、ウパニシャッドの用法に近いようである。愉悦感(saumanasya)とは心がいつも愉しく朗らかで、憂鬱な気持に陥らないことである。一事に対する心の専念性(ekagrya)は、三昧の境地と同じであって、仏教では心一境性などと訳している。感覚器官の克服(indriya-jaya)とは、ともすれば外境へ向かおうとする感覚器官を内部へ引きとめておくことである。自己直観の能力(atma-darsana-yogyatva)とは、真我と覚の二元性に対する弁別智を得るに堪えられる心力をいう。清浄の戒がヨーガでどれほど深い意味をもつものであるかが、この経文によってうかがわれる。