ヨーガ・スートラ2-36

[2-36] 正直の戒行に徹するならば、その人は行為とその結果との依りどころとなることができる。

Once a state of truth (satya) has been permanently established, each statement will form the basis for a truthful result. ||36||

 

<解説>この経文の表現をやさしくすれば、正直の戒の実行に徹したならば、その人の言う通りに行為も結果もなる、ということである。例えば、ある人に「君は立派な人間になれ」といえば、その人は立派な人間になるし、「君は天国に生まれよ」と命ずれば、その男は天国に生まれる、というふうにである。あるいは本文の「行為と結果」(kriya-phala)を行為の結果と解し、依りどころ(asraya)を寄りくるところとか、容れものとかの意味に解してもよい。そうすると、経文の意味は、ただ言うだけで、何もしなくても、行為をしたと同じ結果がやってくる、という意味になる。正直の徳はインドで太古から尊ばれてきた。「バラモンの正直」ということは古代のギリシア人の間でさえ語り草となっていた。ウパニシャッドでも正直の徳を高く評価しているが、サティア(satya)をサット(sat、実在)という語源から説明し、正直は実在と合致するから実在の力をそなえていると考えた。こういう気持は後世のインドにも残っているであろう。