ヨーガ・スートラ2-30

〔禁戒と勧戒〕

[2-30] 禁戒には、非暴力、正直、不盗、禁欲、不貪の五つがある。

Respect for others (yama) is based on non-violence (ahimsa); truthfulness (sataya); not stealing (aasteya); non-convetousness (aparigraha); and acting with an awareness of higher ideals (brahma-charya). ||30||

 

<解説>①禁戒(yama=ヤマ)というのは、仏教の五戒と大体において同じ内容のもので、自分以外のものとの関係を規定した道徳的な心得(戒)である。しかし、仏教にしても、ヨーガにしても、単に社会道徳として五戒をとり上げているのではない。戒は心の平和を得るための手段であって、禅定のための予備コースとして提出されているのである。解脱を究極目的とする修行者はまず戒を守ることから始めなければならない。破戒の徒が悟りを開く見込みはない。仏教でも、「戒に非ざれば定を発せず、定に非ざれば慧を生ぜず」と説かれる。

 

<解説>②五戒の第一は非暴力(ahimsa=アヒンサー)である。非暴力とは、いかなる場合にも、いかなる生きものにも、いかなる仕方ででも、害を加えないことである。ヨーガ学派の中には、六部門説、三部門説などもあったのであるが、ヨーガ・スートラは八部門説の立場をとるのである。暴力の最も甚だしいものは殺害であるから、不殺生戒と訳されることもある。これは五戒の中の首位におかれるものであって、インド人が最も重んずる道義である。ガンディーの政治運動がこの精神を以て貫かれていたことは、人の知るところである。

 

<解説>③正直(satya=サティア)はガンディーのサティア・グラハという言葉に見られる。この言葉は正直を守り通すことを現している。正直を守り通すことは、非暴力の戒を守るのと同じくらいむずかしいことである。だから、ガンディーはサティア・グラハを「精神力」(power of soul)という語で説明している。

 

<解説>④不盗(asteya=アステーヤ)は読んで字の如くである。

 

<解説>⑤禁欲(brahmacarya=ブラハマチャリア)はシナで梵行とか不淫とか訳されているように、異性との交わりをしないことである。

 

<解説>⑥不貪(aparigraha=アパリグラハ)とは最小限度の必需品以外は持たないことである。インドの行者(sadhaka=サーダカ)は、一杖一鉢しかもたない。しかし、何をもつかが問題ではなく、所有欲を征服することが主眼なのである。たとえ、莫大な財産があっても、それを所有する意識がなく、それを取得し、護り、失うまいとする煩わしさに心をみだすことがなければ、不貪の戒は成り立つといえる。しかしそれは一般に至難なことである。