ヨーガ・スートラ2-25

〔除去ー解脱〕

[2-25] 従って、無明がなくなった時には、見るものと見られるものとの結びつきもまたなくなる。これが除去というものであり、見るものの独存位である。

When a lack of insight (avidya) disappears, this identification likewise disappears. Once this identification has completely disappeared, liberation (kaivalya) of the true self (drashtu) has occurred. ||25||

 

<解説>除去(hana=ハーナ)は、さきに説かれた除去すべきもの(heya=ヘーヤ)と関連する語である(2-16,2-17参照)。すなわち、苦である現存在がすべてなくなること及びなくなった状態が、除去と名づけられている。除去はとりもなおさず真我の独存位(kaivalya=カイヴァリャ)である。独存位というのは、真我が他の何者にも結びつくことなく、自分だけで存在する状態のことである。サーンキャ・ヨーガの哲学では真我独存の状態が解脱の内容をなしている。真我は本来、自由、清浄、不変、遍在の絶対者であるから、見られるものとの結びつきさえなくなれば、自己本来の状態にかえる。その時、真我だけではなく、その真我に結びついていた覚等もまた御役御免となって転変から解放されるから、ここにも解脱がある。サーンキャ・ヨーガでは解脱は真我と自性の両者についていわれるのである。