ヨーガ・スートラ2-11

[2-11] すでに心のはたらきとして現われた煩悩は、静慮によって除去することができる。

Meditating (dhyana) on that which we wish to overcome eliminates such misconceptions that arise from human mutability (vritti). ||11||

 

<解説>①煩悩が快、苦、痴の性質を帯びた心のはたらきとして結果した時には、心の粗荒な転変であるから、静慮によって取り除くことができる。静慮(dhyana=ディアーナ)というのは、仏教で禅、または禅那と音訳し、静慮、正思惟等と意訳するのが普通である。ヨーロッパ人は、meditationをこれにあてる。静慮は本経の2-29,3-2で、ヨーガ行法の中の特定の段階として説明されている。行事ヨーガによって薄弱にされた煩悩のよごれは、静慮によって洗い去られることになる。