ヨーガ・スートラ2-5

[2-5] 無明とは無常、不浄、苦、無我であるものに関して、常、浄、楽、我であると考える見解をいう。

A combination of the eternal and transitory, purity and impurity, joy and suffering, or the mutable and immutable in human beings are all referred to as a lack of insight (avidya). ||5||

 

<解説>①無明(avidya=アヴィディアー)という訳語は仏教用語を借りたのであるが、無知というのと変わりはない。無明の内容については各学派によって多少の違いがある。ここに現われている無明の説明は、仏教の四念処観などと相通ずるところがある。

 

<解説>②四念処観というのは、仏教の観法の一つで、身・受(感受性)・心・法(現象的緒存在)の四つについて、不浄・苦・無常・無我(非我)であることを観想することである。これによって、常・楽・我・浄の四顚倒(謁見)を破ることができる、と説かれている。ちなみに、無我(anatma=アナートマー)とは仏教の場合でも、今の場合でも、我がないということではなくて、我ではない(非我)ということである。無明は単に知がないという消極的な概念ではなくて、積極的な内容をもつ概念であることを注意する必要がある。