ヨーガ・スートラ2-4

【煩悩】

[2-4] 以上の五煩悩の中で、無明はその他の緒煩悩の田地である。他の緒煩悩は各個にあるは眠り、あるは弱まり、あるは中絶し、あるは栄えたりするが、無明は常にそれらの田地として存在する。

A lack of insight (avidya) is the source of most kleshas (obstacles) and can be latent, incipient, full fledged or overwhelming. ||4||

 

<解説>①無明(avidya=アヴィディアー)という煩悩の内容については次の経文が明らかにする。ここでは無明が他の四つの煩悩とは次元を異にし、それらの根因である関係を明らかにする。田地(ksetra=クセートラ)という語は生物の生育する大地を意味するが、ここでは無明が他の煩悩の根、原因、あるいは内在因(anvayin=アンバーイン)であることを示す。

 

<解説>②この経文で煩悩の四つの状態がかぞえられているが、眠っているというのはある煩悩が心の中で単に素質の状態にとどまっていること、弱まっているというのは前に述べたように行事ヨーガの実行などによって弱くなること、中絶状態というのはある煩悩がそれと反対の性質の煩悩や智によって打破されながらも再三再四同一の本質を以て現われてくること、栄える状態については説明の要がなかろう。

 

<解説>③かように他の煩悩はいろいろな状態変化をするけれども、無明だけはその根因としてそれらの煩悩に常に伴っている。だから、根因である無明を断滅しなければその他の煩悩は滅びないし、無明を断滅すればおのずから他の煩悩は滅びる。ヨーガの主知主義的傾向はここにその理由をもっているのである。