ヨーガ・スートラ1-50

[1-50] この三昧智によって生ずる行は、他の行を抑圧する性質をもっている。

This experience gives rise to an impression (samskara) that supplants other impressions (samskara). ||50||

 

<解説>①行とはすべてに述べたように(1-18)、いろいろな心理現象が生じた時、その現象の印象が潜在意識の領域のうちになんらかの形で残存してゆくのをいうのである。ヨーガ心理学では、この行すなわち潜在印象という概念は大切な役割をする。行は後に顕在意識の世界に姿を現わしてくるからである。行には二つの種類がある。一つは、単に心理的な結果を意識面に現わしてくる行で、記憶や煩悩(本経1-5参照)の原因となる。他の一つは業遺存(本経1-24参照)といわれるもので、個人の運命、環境の原因となる。

 

<解説>②ところで、無伺三昧中に生ずる直観智に由来する潜在印象は、他の潜在印象すなわち散動心(vyt-thana-cita)のはたらきによって、それまで潜在意識内に残されていた印象を抑圧して、それが観念(記憶)として意識面へ現われることをふせぐ力がある。散動心(雑念)に由来する行の現実化が止められると、おのずから三昧が生じ、従って三昧智が現われる。三昧智はまたその行を残す。かようにして三昧智とその行とが互いに因となり、果となって、連続してゆくことになる。ところがこの三昧智によって作られた行は、煩悩を消滅させる力をもっているから、心のはたらきを促進するようなことはなく、かえって、心をその任務(adhikara=アディカーラ)から解放する。任務から解放され、業報を離れた心は、真我に直面して、真我と自性の二元性を悟ることができて、自己本来の目的を完遂する。

 

<解説>③サーンキャ・ヨーガの哲学からいえば、心は、二つの相反する目的をもっている。一つの目的は、真我をして、現象の世界を経験させることであり、他の一つの目的は、真我をして、自己が現象の世界とは元来無関係なものであることを悟らせるにある。この第二の目的は、心の中に真我と世界の二元性の覚智(viveka-khyati)が生ずることによって到達されるのである(2-26,2-27,3-52,3-54,4-26,4-29参照)。