ヨーガ・スートラ1-44

[有伺定と無伺定]

[1-44] 前記の二つの定に準じて、それよりも微妙な対象に関係する有伺定と無伺定は説明される。

If the object of concentration is of a subtle nature, these two described states are known as savichraara and nirvichara sampatti. ||44||

 

<解説>①微妙な存在を対象とする心のはたらきが伺(vicara=ヴィチアーラ)である。微妙な存在というのは何かについては次の経文が説明する。

 

<解説>②有伺定(savicara-samapatti=サヴィチャラサマーパッティ)というのは、その対象となる微妙な存在が現象(dharma=ダルマ)として顕現し、従って時間、空間、原因等の経験範疇によって限定されている場合の定心をいう。この場合には、主観と客観の対立が見られる。無伺定(nirvicara-samadhi=ニルヴィチャーラサマーディ)というのは、その対象となる微妙な存在が、過現未のいずれの時形においても現象せず、従って時間、空間、因果等の経験範疇に限定されないで、物自体(dharmin=ダルミン)のままで顕現する場合の定心をいう。このように、微妙な客体(artha=アルタ)の実体が赤裸々に三昧智の中に顕現する時には、三昧智はその対象に染まって、自己の実体をなくしてしまったかのように見えるのである。(P251以下参照)

 

<解説>③定を尋と伺のはたらきの有無によって分ける仕方は仏教の禅法の中にも見られる。仏教では天上界を欲界、色界、無色界の三階級に分ける。欲界はわれわれ人間の世界やそれ以下の世界と同じく、欲情によって支配される世界で、その境遇がわれわれのよりもすぐれているだけである。しかし、色界、無色界となると、禅定を修行し、定心を得るに成功した人しか行けない世界であって、この世界の住民は生まれながらにして定心をそなえている。この色界、無色界はその各々が四つの段階から成っている。この二界八段に対して、仏教は三つの禅定を次の図のように配当する。

色界 → 初禅天、二禅天、三禅天、四禅天

無色界→ 空無辺処地、識無辺処地、無所有処地、非想非々想処地 

(初禅天のみ有尋有伺定と無尋有伺定 他は無尋有伺定)