ヨーガ・スートラ1-35

[1-35] あるいは、いろいろな感覚対象をもった意識の発現が生ずるならば、それは意(思考、注意の器官)をいや応なく不動にし、心の静澄をきたすものである(3-36参照)。

- Or by contemplating things and impressions, which promotes mental stability and consolidation ||35||

  

<解説>①この経文は、インドの註釈家の意見に従えば、行者がいろいろな感覚器官へ注意を集中することによって、それぞれの器官に微妙な感覚が生ずることをいうのだという。例えば鼻のさきに意識を集中すると、神々しい妙香の感覚が生じ、また舌端に集中すると微妙な味覚、口蓋に集中すると色の感覚、舌の中央に意識を集中すると触覚、舌根に集中すると音覚が生ずる。かような霊的な感覚を経験すると、行者の信念は確固たるものになる。

 

<解説>②書物や師匠や論証だけでは、どうしても、靴を隔ててかゆいところを搔くようなもどかしさを禁じ得ないが、前記のような感覚的な直接経験をすると、玄奥な哲理に対しても不動の信念を確立することができる。このようにインドのヨーギーは、この経文を3-25などに関連させて解釈している。意(manas=マナス)については2-53参照。