ヨーガ・スートラ1-28

[1-28] ヨーガ行者は、この聖音を反復誦唱し、そしてこの音が表示する自在神を念想するがよい。

Repetition of OM (with this meaning) leads to contemplation. ||28||

 

<解説>①反復誦唱(japa)の行は、2-1、2-44に出ている読誦行(svadhyaya)の一種である。誦唱は低い声で、つぶやくようにとなえる行である。この行は、今日でも、ヨーガの瞑想の際有益な方法とされている。この経文は、誦唱と同時に自在神を念想することを勧める。自在神を念想(bhavana)するというのは、自在神の端厳な姿やその威力などを心に思い浮かべることであって、それに成功した時には、神の姿や声がヴィジョンとなって見え、聞こえてくるのである。(2-44参照)これに似た行法が、仏教の中で、念仏行として発達したことは、われわれにとって興味の深いことである。

 

<解説>②すなわち、小乗仏教では五停心観の中に念仏観が含まれ、大乗仏教では観仏三昧法、生身観法等の禅法として展開している。いずれも、如来の相好(ホトケの端厳微妙な姿は三十二相、八十種好をそなえているといわれる)を念想し、その姿を鮮明な幻影として眼のうちに見、ホトケの音声を耳に聞くに至る行法である。念想の原語バーヴァナ(bhavana)は、語源的には、ものを実現するという意味の語であって、単に抽象的な思考を持ち続けるのでなく、真理なり形像なりを具体的な形で直観することを意味しているのである。

 

<解説>③ところで、仏教でも、この行法は決して高い段階に置かれてはいない。小乗仏教の念仏観は最も初級の仏道修行の一つにすぎないし、大乗の禅法の中でも、観仏三昧や生身観は罪深き衆生(人間)が心を清め、常心を会得するための方便なのであって、これによって解脱したり、成仏したりすることはできないのである。これを以ても、ヨーガ・スートラの中の自在神祈念の法をバクティ・ヨーガと混合するのは大きなあやまりであることを知ることができる。

 

<解説>④聖音誦唱と自在神念想の二つの行法は、同時に行うのがよい。シナで盛んとなった浄土門の唱名念仏は、もとはかかる様式の念仏観であったのである。