ヨーガ・スートラ1-20

[1-20] その他の人々、つまりヨーガ行者たちの(真実の)無想三昧は堅信、努力、念想、三昧、真智等を手段として得られるものである。

And then there are some for whom trust, determination, memory and divination lay the groundwork for insight. ||20||

 

   

<解説>①堅信以下の五つの手段は、仏教の修行方法である三十七道品の中の五根(こん)、五力(りき)というグループに属する徳目(信、勤、念、定、慧)と全く同じである。

 

<解説>②堅信(sraddha=シラッダー)とは道に対する信念のことであるが、同時に清澄な心をも意味する。道に対する堅い信念があれば、やがて、道を修めようとする力強い努力(virya)が生まれる。

 

<解説>③この努力は、やがて、いろいろな戒律や信条をいつも忘れずに守ってゆく念想(smrti=スムリティ)としてみのる。念想を行じてゆくうち、おのずと雑念が消えて、三昧の心がまえがあらわれてくる。そうしてついに、世界の実相を如実に知る真智(prajna=プラジナー)が生じる。

 

<解説>④この真智をも離脱した時にはじめて無想(むそう)、無種子(むしゅじ)の三昧が完成されるのである。この間の事情については1-47以下、4-29、4-34に説かれている。

 

<解説>⑤インドの註釈家は、(以て非なるものと真実なるものとの)前記二種の無想を区別して、(1)存在を縁(原因)とするもの(bhava-pra-tyaya)ト、(2)方便を縁とするもの(upaya-pratyaya)と名付けている。